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大森南朋の家族構成!父親は麿赤兒で読み方と逮捕歴!母親は風月堂の女王ダダで兄は大森立嗣

大森南朋の家族構成

大森南朋の父や母や兄弟、出身地や実家住所に注目します!

父親は麿赤兒ですが読み方や逮捕歴があるという噂は本当のことなのでしょうか?

父親はオーラが凄い俳優で、ドラマルパンの娘やハヤブサにも出演しています。

母親は新宿の風月堂で女王ダダとして人気者だったのだとか。

この記事では、大森南朋の父親や母親や兄弟はどんな人なのかや、出身地や実家住所などをご紹介します。

大森南朋の実家や家族構成について

演技派俳優として知られる大森南朋は、どのような家庭環境で育ったのでしょうか?

ここでは、大森南朋の家族構成や出身地、実家住所をご紹介します。

大森南朋の家族構成

大森南朋は4人家族で、家族構成は「父親・母親・兄・本人」です。

父親:ドラマや映画で強烈なインパクトを残している父
母親:新宿の風月堂で女王だった母
長男:大森南朋を柔らかくした顔立ちで、映画監督の兄
次男:大森南朋本人で、2人兄弟の弟

大森南朋の実家住所や出身地

大森南朋の出身地は東京都です。

大森南朋の父親と母親は新宿で出会い、東京暮らしだったことから大森南朋が生まれ育った実家も東京都にあるのでしょうか。

大森南朋の出身小学校や中学校に関する情報がないため、実家住所は不明です。

大森南朋の父親は舞踏家の麿赤兒!名前の読み方や逮捕歴は?

大森南朋の父親は麿赤兒という芸名で活動している舞踏家ですが、なんと読むのでしょうか?

ここでは、麿赤兒の読み方や父親の本名や年齢や職業、経歴や逮捕歴があるという噂の真相をご紹介します。

大森南朋の父親の読み方は「まろ あかじ」で年齢や職業は?

大森南朋の父親の名前は大森宏です。

現在の年齢は81歳(2024年11月時点)です。

父親の職業は俳優、舞踏家、そして演出家でもあります。

麿赤兒という芸名で活動していますが、麿赤兒の読み方は「まろ あかじ」です。

大森南朋は自身の顔が年を取るに連れ父親にどんどん似てきていることを実感しているようです。

2023年7月10日に自身と父親の画像を一緒に投稿し、「抗えないことってあるよねぇぇ」とコメントしていました。

大森南朋と父の顔画像を比較すると顔立ちや雰囲気が驚くほどソックリですよね。

大森南朋は幼少期のほとんどを父親と一緒には過ごしていませんが、30歳くらいの頃からゆっくりと時間をかけ、親子関係を取り戻してきたと話していました。

大森南朋が幼い頃に両親は離婚していますが、父親がその後再婚したという情報は見つかりませんでした。

大森南朋の父親の麿赤兒はドラマに多数出演!ハヤブサやルパンの娘や翔んで埼玉など

大森南朋の父親の麿赤兒は、若い頃から劇団員となり演技の道を志していました。

転機となったのは大森南朋が生まれた1972年に舞踏集団・大駱駝艦を旗揚げしたことです。

この舞踏集団を立ち上げてから国内外で有名になっています。

1972年に舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げし、
舞踏に大仕掛けを用いた圧倒的スペクタクル性の強い様式を導入。
“天賦典式”(てんぷてんしき)と名付けたその様式は日本はもちろん、
1982年のフランス・アメリカ公演で大きな話題となり、
「Butoh」の名が世界を席巻する。
【引用元:キャメルアーツ 麿赤兒

麿赤兒は舞台だけでなく、最近のドラマや映画作品にも出演し、演技派俳優として存在感を放っています。

麿赤兒はたとえば次のような作品に出演しています。

麿赤兒の出演作①:ルパンの娘

2019年放送のドラマルパンの娘では、華の祖父役として出演しています。

麿赤兒の出演作②:ハヤブサ消防団

2023年放送のハヤブサ消防団では、ハヤブサ地区にある寺の住職役で出演しています。

麿赤兒の出演作③:翔んで埼玉

2019年公開の映画、翔んで埼玉では、白塗りの男を演じ、大きなインパクトを残しています。

どの役も一度見たら忘れられないものばかりですね。

強烈なインパクトを残すことができる個性派俳優として重宝されているようです。

大森南朋の父親の麿赤兒には逮捕歴がある?

大森南朋の父親の麿赤兒に逮捕歴があるのではないかという噂があります。

麿赤兒は過去に唐十郎が主宰する状況劇場という劇団に俳優として所属していました。

小澤征悦主演、家族の絆を切なくもハートフルに描き話題のオトナの土ドラ『パパがも一度恋をした』。第4話では、さらに演劇界を揺るがす話題も!唐十郎率いる劇団「状況劇場」の全盛期を支えた二大看板俳優・麿赤兒と大久保鷹の共演だ。
【引用元:東海テレビ

この状況劇場と寺山修司が主宰する天井桟敷が過去に乱闘事件を起こし、逮捕者が出たようです。

1969年に公演された状況劇場の少女都市という舞台のカーテンコールで、寺山修司から葬儀用の花輪が送られ、それを巡り乱闘事件に発展したのだとか。

私が寺山さんに最も“近づいた”瞬間は、「天井桟敷」と私が所属していた唐十郎率いる「状況劇場」との乱闘事件のときです。1969年、私たちが渋谷の金王八幡宮でテントを張って公演をしたとき、寺山さんから葬式用の花輪が贈られたことがありました。当時の私たちには意味が分からず、酒の勢いもあって天井桟敷の稽古場まで押しかけました。芝居終わりのひどいメイクのまま、「寺山、出てこい!」と叫び、戸を蹴飛ばしていたら、天井桟敷の男たちが飛び出てきて、両団員入り乱れての乱闘になった。
【引用元:文藝春秋digital

その後多数の劇団員が逮捕されたと言われており、麿赤兒本人も、全員が留置場に連行されたと話しています。

結局、寺山さんも唐も含めて全員が警察に連行されて留置場で一晩を過ごしました。警察に捕まるのは慣れっこですが、今でもあの顔は忘れられない。その後、寺山さんと唐は路上劇だと言い張って聴取を乗り切った(笑)
【引用元:文藝春秋digital

一時的に逮捕されたのは事実かもしれませんが、聴取を乗り切ったと書かれているので、特に刑に罰せられたりということはなかったようです。

大森南朋の母親は風月堂の女王ダダ!名前や年齢や職業は?

大森南朋の母親の名前は、桃枝(ももえ)で、旧姓は小林です。

母の年齢は父親の麿赤兒の3つ下ということなので、現在の母親の年齢は78歳くらい(2024年11月時点)です。

母親は一般人ですが、若い頃に新宿にある風月堂という喫茶店でアイドル的存在で、女王ダダとして有名だったそうです。

母親の若い頃の写真がテレビで公開されていますが、美人で女王という言葉がピッタリです。

秩序や常識を否定するダダイズムという芸術活動があり、ダダという言葉はそこから生まれたようですね。

母親は社会的常識にとらわれず、自由に生きてきた人のようです。

父の麿赤兒と母の馴れ初めは、風月堂での出会いだったそうですよ。

今でいう逆ナンかもしれません。

母親は風月堂に出入りする男性を見ていて、その中でイケメンだと思った麿赤兒に声をかけ、仲を縮めて交際に発展したそうです。

母親は23歳の時に、新宿の雑居ビルでダダというバーを開き、24歳の時に結婚しています。

大森南朋の母親と交流があるという人が書いたブログを読むと、母親は45歳の頃はインド雑貨店を営んでいたようです。

出逢いは32年前

桃ちゃんは
れぃれぃの地元で
インド雑貨店を営んでいました

こちらは、32年前
45歳の頃の桃ちゃん

若〜い

初めて桃ちゃんのお店
「DADA」に伺った日
【引用元:セラピストれぃれぃとセラピードッグの日記

雑貨店の店名もダダであることから、母親がダダという言葉に深い思い入れがあることがうかがえます。

結婚当時、夫はお金がない劇団員だったため、母親は働いて家計を助けたそうです。

父親は次男の大森南朋が生まれた年に舞踏集団を旗揚げし、海外公演を積極的に行うようになり、自宅にはほとんど戻らないような生活をするようになったとのこと。

その結果、子供達がまだ幼い頃に父親と母親は離婚し、離婚後は母親が子供達を育て上げています。

大森南朋の兄弟構成!兄は映画監督の大森立嗣

大森南朋は2人兄弟で、兄が1人います。

兄は映画監督の大森立嗣(たつし)です。

大森南朋がSNSで兄の大森立嗣との写真を公開しています。

大森南朋と兄は顔立ちがよく似ていると思いますが、兄の方が優しい顔立ちのように感じます。

大森南朋が父親似で、兄が母親似だと思います。

兄の現在の年齢は54歳(2024年11月時点)です。

大森南朋の兄には二度の結婚歴があるようです。

一度目の結婚の時期は不明ですが、30代で助監督をしていた頃にお金がなくなり離婚したそうです。

その後2011年頃に再婚したことが週刊誌で伝えられています。

離婚に関する情報はないため、現在も夫婦関係は続いているのでしょう。

大森南朋と兄の兄弟仲は良好のようで、大森南朋は兄が監督を務める数々の映画作品に出演してきました。

2022年に公開された映画グッバイ・クルエル・ワールドの舞台挨拶では兄弟揃って登壇しています。

兄は駒沢大学の出身です。

大学時代にたまたま映画サークルに入ったことから映画に興味を持ち、自主映画を作っていたとのこと。

大学を卒業後は俳優としても活動していましたが、大学生になるまでは父親への反発心から演技の方面には目を向けなかったとのこと。

立嗣 でもそこから先の、中学高校くらいの間は、僕は、舞踏とも親父とも関わりたくないと思ってて……。

南朋 反抗期すごかったもんね、兄貴は(笑)。僕は高校出たくらいから親父の事務所に行って、ワークショップもやらせてもらって。「フラフラしてるんだったら来い」とか言われて。実際、フラフラしていたから。「頭、剃れ!」「やだ!」とかって言って(笑)。正直そんなに乗り気じゃなかったけど、興味はあったんでしょうね。親父が何をしてるかは知ってても、実際に稽古場で何が行われているのかは知らなかったし。いろいろ刺激的でしたよ。一番興味深かったのは、自分と同世代とか年下の人が、親父のところに関心持って入ってきて、舞踏をやってるんだってこと。その人たちと一緒に飲みに行ったりして「なんで舞踏やってるんですか」って聞いたりしてた。その頃から、ちゃんと舞踏を観るようになったのかな。
【引用元:ステージナタリー

家に帰ってこなかった父親と同じ道に進むことが耐え難かったのでしょう。

父親の麿赤兒のことを受け入れるのが難しかったとのことですが、父親に演技を褒められて距離が縮まったそうです。

父親の麿赤兒が率いる舞踏集団・大駱駝艦が創立50周年を迎えたことを受け、大森南朋は父と兄と対談しています。

壊れていたという家族の形は、演技を通して絆を深めているようです。

大森南朋のプロフィール

本名:大森 南朋(おおもり なお)
生年月日:1972年2月19日
年齢:52歳(2024年11月時点)
出身地:東京都
身長:178cm
体重:非公表
血液型:A型
職業:俳優
事務所:アパッチ

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