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松井秀喜の家族構成!父親の宗教は瑠璃教会で名言とは?兄はミサワホームで母親は?

1990年代~2000年代の野球界で大活躍したゴジラこと松井秀喜は、どのような家庭環境で育ったのでしょうか?

松井秀喜の父親は宗教法人「瑠璃教会」の2代目司教です。

父の名言が凄いと話題になっていますが、どのような名言なのでしょうか。

松井秀喜の家庭を支える母親や、ミサワホームに勤務していると言われる兄についても調査しました。

この記事では、松井秀喜の父親や母親や兄弟、出身地や実家住所もご紹介します。

松井秀喜の実家や家族構成について

松井秀喜はどのような家庭環境で育ったのでしょうか?

ここでは松井秀喜の家族構成や出身地、実家住所をご紹介します。

松井秀喜の家族構成

松井秀喜は4人家族で、家族構成は「父親・母親・兄・本人」です。

父親:宗教家や歌手をしている父
母親:母直伝のカレーが人気な母
長男:松井秀喜が子供の頃ライバル視していた兄
次男:松井秀喜本人で、2人兄弟の弟

松井秀喜の実家住所や出身地

松井秀喜の出身地は石川県能美市で、実家住所も能美市にあります。

松井秀喜は能美市の名誉観光大使を務めており、市のPR活動をしています。

能美市の山口町に松井秀喜の実家が運営している「松井秀喜ベースボールミュージアム」があるのですが、実家はその施設の近くにあります。

まるで大使館のような外観ですが、2005年に5億円ほどかけて新築された建物だそうです。

ミュージアムは1994年に完成した「松井秀喜 野球の館」をリニューアルする形で総工費約5億円をかけ、2005年に実家近くに新築された。
【引用元:スポーツ報知

2024年元旦に起きた令和6年能登半島地震で、松井秀喜の実家がある能美市も被災しています。

実家が運営する松井秀喜ベースボールミュージアムのSNSのアカウントから、建物が被害を受けなかったことが報告されています。

松井秀喜の父親の宗教は瑠璃教会で名言とは?名前や年齢や職業は?

松井秀喜の父親の名前は「松井昌雄」といい、現在の年齢は82歳(2024年9月時点)です。

父親は様々なメディアに出演しており、顔画像も公開されています。

松井秀喜は父親と顔がそっくりということではありませんが、なんとなく似てるように思います。


【引用元:スポニチ

父はマルチに活動しており、職業は宗教家で実業家、そして歌手としての活動もあります。

父親の希望により香西かおりとのデュエット企画が成立し、『ゆきずり物語』というCDをリリースしています。

父は宗教法人「瑠璃教会」の2代目司教です。

父親は司教になる前の21年間小松製作所で働いていました。

父親は27歳の時に瑠璃教会の1代目である松井家の養子に入っていて、その後2代目に就任しています。

父親はこれまでに数々の著書を出版していますが、父の「夢は空高く努力は足元に」という名言が話題になっています。

松田元太はこの言葉を座右の銘にしてきたとのことですが、松井秀喜の父の名言だったとは知らなかったそうです。

松井秀喜の父親は多方面で活動しており、子育てにどのような考え方を持っているのかも気になるところです。

父親と母親は、普段子供達をさん付けで呼んでいたとのこと。

両親は子供達を1人の人間として尊重していたそうです。

また、叱る時は名前を呼び捨てにし、メリハリをつけて子育てをしていたようです。

松井家では子供も、大人と同じように、〝さん〟付けで呼ばれる。ひとりの人間として尊重し自主性を認めたいという、親の子に対する証だった。そして、親として注意したり叱ったりする時は、「利喜」「秀喜」と呼び捨てにする。このときは〝さん〟ではなく〝秀喜〟と呼び捨てにした。
【引用元:現代ビジネス

両親は考え方を押し付けることはなく、基本的に放任主義で、その結果松井秀喜は自分で物事を考えるようになったそうです。

松井秀喜の母親の名前や年齢や職業は?

松井秀喜の母親の名前は「松井さえ子」で、年齢は不明です。

母親の職業も不明ですが、松井秀喜は幼稚園ではなく保育園に通っていたため、母親は専業主婦ではなく何か仕事をしているのではないでしょうか。

母親は父親ほどではありませんがメディアにも出演しており、写真が公開されています。

松井秀喜ベースボールミュージアムではオリジナルグッズも買うことができますが、松井家秘伝のカレーが人気です。

このレトルトカレーは日本放送の企画により開発された商品で、松井秀喜の母が作るカレーを忠実に再現しているそうです。

通販や一部のスーパーマーケットでも買うことができ、売れ行きは好調だそうです。

松井秀喜のパワーの源となった、母さえ子さんの手作りカレーを忠実に再現し、レトルトパックとして2013年から発売されている「松井家秘伝のカレー」。ついに累計販売数が50万食を突破、好調なセールスが続いている。
【引用元:ニッポン放送

イチローこと鈴木一郎の実家も記念館を運営していて父親監修のカレーを販売しており、家庭環境が似ているかもと感じました。

松井秀喜の兄弟構成!兄の仕事はミサワホーム?

松井秀喜は2人兄弟の弟で、兄が1人います。

兄の名前は「松井利喜」といい、現在の年齢は54歳くらい(2024年9月時点)です。

ミュージアムは1994年に完成した「松井秀喜 野球の館」をリニューアルする形で総工費約5億円をかけ、2005年に実家近くに新築された。実兄で1級建築士の利喜さんらが設計。館長は父・昌雄さんが務め、ホームページ上では「幼くして野球に出会った松井秀喜は、さまざまな人に支えられ大好きな野球に自らの進むべき道を見出しました。このミュージアムは、そんな彼の野球への熱い思いと何よりも野球を通して『夢』を追い続けることの大切さをテーマに創設しました」と記している。
【引用元:スポーツ報知

兄の職業は1級建築士で、松井秀喜ベースボールミュージアムの設計にも携わっています。

松井秀喜は2005年にミサワホームと契約しCMに出演していましたが、兄がミサワホームに勤めていた時期がありそのご縁だったそうです。

現在の職業は父親が司教を務める瑠璃教会傘下のルリ・コーポレーションの代表取締役です。

松井秀喜と兄の幼少期の頃の写真が公開されていますが、どちらも日に焼けていてとてもヤンチャそうですよね。


【引用元:松井 秀喜さん|能美市

兄の現在の顔が分かる画像も公開されています。


【引用元:松井 秀喜さん|能美市

松井秀喜ほどではありませんが兄も高身長で、イケメンです。

松井秀喜は子供の頃から負けん気が強く、兄の背中を追って成長してきました。

松井秀喜は幼少期からピアノや野球をしていましたが、兄の影響を受けてのことだったとのこと。

兄がピアノを辞めると松井秀喜も辞めてしまったそうです。

小さい頃、兄の背中を追いかけて育った秀喜さん。兄がピアノを習いだすと、自分も習うと言い出しましたが、兄がピアノを辞めると秀喜さんも辞めてしまいます。2歳の後半に兄が父とキャッチボールをやりだすと、自分もやりたいと父を困らせ、なんとか幼な子が使えそうなビニール製のグローブを探し出し、3人でキャッチボールをやりだすと、今度は、兄と同じスピードの球を投げて欲しいと言い出すくらいの負けん気の強さ。それでも父は、親としての振る舞いとして、秀喜さんを一人の独立した人格とみて、敬意をもって接することを心がけてきたそうです。
【引用元:能美市

松井秀喜は右投げ左打ちですが、左打ちになった理由は兄の発言にありました。

松井秀喜は子供の頃に兄や兄の仲間と野球をしていました。

松井秀喜は小学低学年の頃までは右打ちでしたが、あまりにも球を打ってくるので兄や仲間が嫌がり、兄が掛布選手が左打ちだから左で打つようにと言ってきたそうです。

小学2、3年まで右打ちだった松井少年だが、兄と一緒の三角ベースで「打ち過ぎて(兄たちが)気にくわなかった」。父の影響で熱烈な虎党だったため、兄から「掛布も左打ちなんだから、おまえも左で打てよ」と言われて転向したという。
 「掛布さんのせいですよ。右ならもっと打っていたのに」と冗談めかした松井氏。しかし、左に変えた当初はなかなか打てず、「悔しくてどんどん打っていた。練習すれば打てるようになるとわかった」とその努力がプロへの道筋になった。
【引用元:デイリースポーツ

松井秀喜のプロフィール

本名:松井 秀喜(まつい ひでき)
生年月日:1974年6月12日
年齢:50歳(2024年9月時点)
出身地:石川県
身長:188cm
体重:105kg
血液型:O型
職業:ヤンキースGM特別アドバイザー

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