中学2年生の時に15キロ増量して映画『ソロモンの偽証』で女優デビューした富田望生。
父親は亡くなっていて、死因は事故死です。
母親は福島にいた頃ホテルの支配人をしていましたが、母親が働いていたホテルはどこにあるのでしょうか。
富田望生には兄がいるとの噂がありますが、本当のことなのでしょうか。
この記事ではそれらを明らかにし、富田望生の出身地や実家住所もご紹介します。
富田望生の実家や家族構成について
富田望生はどのような家庭環境で育ったのでしょうか?
ここでは富田望生の家族構成や出身地、実家住所をご紹介します。
富田望生の家族構成
富田望生は4人家族で、家族構成は「曾祖母・父親・母親・本人」です。
父親:富田望生と顔がそっくりな父
母親:ホテル支配人の母
本人:富田望生本人で一人っ子
富田望生の実家住所や出身地
富田望生の出身地は、福島県のいわき市です。
いわき市出身の女優 富田望生さんの、公開ラジオ収録の準備も着々と!
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富田望生の実家もいわき市内にありましたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災し、家族でいわき市を離れ、その後は東京で暮らしています。
福島県いわき市出身の富田さん。東日本大震災の発生当時は11歳、小学5年生だったが、今でもあの時のことを鮮明に覚えている。
富田望生さん「小学校にいたときに地震が起きました。もぐりこんだ机の下から放り出されてもおかしくないというか、割れた窓から放り出されてもおかしくないような感覚でした」
富田さんを含めて、家族は全員無事だった。しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故が富田さんの生活を一変させた。
福島第一原発から富田さんが住んでいたいわき市までは40kmあまり。周囲の大人たちが、原発事故の直後に「終わった」と呟いていたことが印象に残っていると言う。その後、原発がどうなるか分からないという状況で、富田さんは、家族でいわきを離れ、東京に避難することになった。
【引用元:TBS NEWS DIG】
正式に公表されてはいませんが、富田望生の出身中学校は「東京都府中市立府中第四中学校」ではないかと言われています。
この情報が正しければ、富田望生の実家は府中市の美好町にあったのでしょうか。
富田望生は福島にいた頃「いわき市立郷ケ丘小学校」に通っていたことから、当時実家はいわき市の郷ケ丘3丁目周辺にあったと考えられます。
実家は自然豊かな場所にあり、お転婆だった富田望生は山や海を駆け回って遊んでいたとのこと。
実家は海から少し離れた場所にあり長い坂道があったので津波の被害は受けなかったそうです。
「はい。いわき市といっても海からはちょっと離れていて長い坂道があった場所だったので津波の心配はなかったんです。
【引用元:テレ朝POST】
実家があった地域は、近所付き合いが濃かったため、被災後も助け合っていたそうです。
富田望生の父親の死因は事故死!名前や職業は?
富田望生の父親の名前は「富田康裕」です。
父親は富田望生が生まれる5ヶ月前に亡くなっています。
死因は事故死です。
富田も、小夜と同じ福島県のいわき市出身。そして、誕生の5カ月前に父を事故で亡くし、母子家庭で生まれ育つという苦労も。
【引用元:女性自身】
「望生(みう)」という名前は珍しいですが、父親の望むように生きて欲しいとの願いが込められているそうですよ。
父親はサーフィンが趣味で湘南で暮らしていたそうですが、福島に引っ越し、そこで富田望生の母親と出会ったそうです。
父親の職業に関する情報は見つけることができませんでしたが、福島に引っ越したのは転勤の可能性もありそうだなと想像しています。
父親は生前子供が4歳になる前に神奈川に戻って小さなサーフショップを開きたいという夢を語っていたとのこと。
父親は神奈川出身だったのかもしれませんね。
生まれてくる子供が4歳になるまでにお金を貯めて、自分の夢であるサーフショップのオープンを実現させたいと考えていたのではないでしょうか。
2020年1月13日放送の『ヒルナンデス!』に新成人を迎えた富田望生が出演し、母親からの手紙が読まれました。
#ヒルナンデス
有難うございました🌹#成人の日 pic.twitter.com/PF4dyhlFOD— 富田望生 (@tomitamiu) January 13, 2020
富田望生は父親の月命日である2月25日に誕生し、母親は父親にそっくりの富田望生を見てとても嬉しいと思ったそうです。
番組では新成人を迎えた富田に宛てた母親からの手紙が代読された。「望生が生まれてもうすぐ20年です。ママは望生と一緒に母として成長する毎日でした」と書き出された手紙では、「2000年2月25日、パパが天国に帰った日から5か月後の月命日、パパにそっくりな望生に逢えたことが人生一番の喜びです。生まれてきてくれてありがとう!!」と赤ちゃんの頃の富田の写真とともにメッセージが読まれると、富田は顔を両手で覆った。
【引用元:LINE NEWS】
番組内で母親の手紙が読まれると、スタジオは涙に包まれていました。
また視聴者からの反響も大きかったです。
富田望生の母親は心が綺麗な方なのでしょう。
富田望生は父親が18歳の頃の写真を公開していますが、母親が言うように富田望生は顔が父親似です。
富田望生の母親の職業はホテル支配人で場所はどこ?
富田望生の母親の名前は不明です。
母親の年齢も不明ですが、父親が25歳で母親が28歳の時に出会い、その後結婚したそうです。
母親の写真は公開されていないようです。
富田望生は顔が父親似なので、母親とは顔が似ていないかもしれませんね。
母親は夫を亡くしてから母子家庭となり富田望生を育ててきました。
母親の職業はホテルの支配人であることが明かされています。
ホテルの支配人を任されているとのことで、母親はマナーがしっかり身についていて、仕事ができる方なのでしょう。
東日本大震災が発生した時母親は勤務中で、ホテル支配人としての責任から宿泊客の対応をしていたそうです。
母親は富田望生や曾祖母のことがとても心配だったと思いますが、支配人としての責任感の強さがうかがえます。
その夜、富田と曾祖母は向かいの家に泊まらせてもらえることになったが、震災の影響で電話が通じず、勤務中の母とは連絡がつかない。
「母はホテル支配人としての責任があるし、ご近所の皆さんがどんな人たちか分かっていたから、娘たちはきっと安全な場所にいるはずだと信じて、宿泊客の対応をしていました」
【引用元:LINE NEWS】
母親が勤めていたホテルでは電気が使えたため、避難所としての役目を負っていたようです。
翌日には母親と会うことができ、富田望生と曾祖母は母親が働くホテルでしばらく避難生活を送りました。
富田望生は子供の頃から母親が働く姿を見ていたので、避難するだけでなく自然に手伝うようになったそうです。
――富田さんも炊き出しを手伝っていたそうですね。
「はい。ホテルの1階のレストランのシェフが、母とコンビニやスーパーにあるものを買い出しして、味噌煮込みうどんとかを作って提供していました。本当にちょこっとずつだけれども、ひとまずお布団類はあるから帰れるまでいてくださいみたいな状態で。
【引用元:テレ朝POST】
母親が支配人をしていたホテルがどこなのか具体的には明かされていませんが、関東に同系列のホテルがあるとのこと。
ホテルの社長から関東の同系列のホテルで働けばいいと言われて、富田望生と母親と曾祖母は東京に引っ越したそうです。
やがて宿泊客たちは帰宅していき、10日ほどですべて見送ることができた。責任を果たした母は、周囲の説得もあり、いわきからの避難を考えるようになる。
「ホテルの社長から『いわきは当分営業できないし、関東に避難してきたらどうか?』と話があったんです。関東に住んで、系列のホテルで働けばいいと…」
自宅は半壊し、物資は枯渇していく。原発もこの先、何が起きてもおかしくない。
「娘の健康を第一に考えた母に、『とりあえず落ち着くまでだから!行くよ!』って言われたんです。震災から2週間ほど経ったくらいの出来事でした」
【引用元:LINE NEWS】
富田望生の兄弟構成!兄弟のいない一人っ子
富田望生に兄弟はおらず一人っ子です。
富田望生は成人を迎え、母娘2人で頑張ってきたと話していました。
母親は再婚することはなく、シングルマザーとなり富田望生を育て上げたようです。
富田望生には兄がいると一部で言われていますが、兄はいません。
なぜこのような噂が広がったのか原因も不明です。
富田望生の曾祖母
富田望生はずっと母親と曾祖母と一緒に暮らしてきました。
母方の曾祖母なので、母親は生まれ育ちが福島なのでしょうか。
東日本大震災が発生した当時、曾祖母は90歳近い年齢だったそうです。
被災した時に曾祖母が庭先に出て座っているのを見て、富田望生は安堵したそうです。
当時は母と90歳近い曽祖母との3人暮らし。母はホテルの支配人で仕事場を離れられない。私の家は高台で津波の心配はなかったのですが、あまりに揺れが大きくて無事を祈ることしかできなかった。先生たちに家まで送ってもらい、おばあちゃんが庭先に出て座っているのが見えたときには本当にホッとしました。近所の方々が助けてくれたんです。その夜も『うちに居ていいよ』と面倒を見てくれて、とても安心しました。今思い返しても、この土地に住んでいてよかったなと思います。みんなで助け合い、慰め合い、丸まって過ごせる環境がありました」
【引用元:現代ビジネス】
富田望生は2023年度後期放送のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』に福島出身の小林小夜役で出演しています。
#ブギウギ @asadora_bk_nhk
小夜ちゃん、
スズ子さんの付き人になりました。
今後も、なにかと、
らしさ全開ではございますが。。
大好きなスズ子さんのそばにて
この時代を生きていきます。
第10週からも、どうぞ、なにとぞ。😊 pic.twitter.com/kVE3TRItWB— 富田望生 (@tomitamiu) December 4, 2023
ブギウギへの出演を受けてのインタビューで「ずっと一緒に暮らしていた」と過去形を用いていたため、曾祖母は現在は亡くなっているのでしょうか。
曾祖母は戦時中を生きた女性ということで、富田望生は小夜役に抜擢された時、曾祖母の若い頃の姿を想像し嬉しいと思ったそうです。
もともとブギウギの制作が発表されたときから参加したいなって思っていたんです。ずっと一緒に暮らしていた曾祖母が戦時中を生きた女性というのもあり、きっと笠木さんの歌も聴いて乗り越えたんだろうなって思ったら、そういう作品に携わりたいなと思って。なのですごくうれしくて。
【引用元:NHK福島WEB特集】
富田望生のプロフィール
生年月日:2000年2月25日
年齢:24歳(2024年12月時点)
出身地:福島県
身長:152cm
体重:非公表
血液型:O型
職業:女優
事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
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