YOSHIKIは10歳の時に父親を亡くしており、父の死はYOSHIKIの生い立ちに大きな影響を与えています。
父親の死因は何だったのでしょうか?
YOSHIKIの実家は千葉県館山市にある呉服屋ですが、父のもともとの職業はタップダンサーです。
この記事ではYOSHIKIの父親の名前や年齢、顔写真の画像はあるのか、父親の死因や墓がある場所、父の職業などについてご紹介します。
YOSHIKIの父親の名前は?顔写真の画像はある?
YOSHIKIの父親の名字は「林」ですが、下の名前は不明です。
父親はYOSHIKIが10歳の時に、34歳の若さで亡くなっています。
YOSHIKIの弟である林光樹が、自身のSNSで父親の写真の画像を公開しています。
YOSHIKIは父親とは顔立ちが似ておらず、完全に母親似だと思います。
YOSHIKIの生い立ちに影響を与えた父親の死!死因は一酸化炭素中毒による自殺だった
YOSHIKIの父親は、YOSHIKIが10歳で弟が6歳の時に亡くなっています。
YOSHIKIが10歳のとき、父が34歳の若さで自殺。夏休み、学校で楽器の練習をして帰宅すると、亡くなった父を囲み、悲しみに暮れる家族の姿が。突然の出来事に何が起きているのか分からなかったYOSHIKIは、泣いて暴れまくったという。
【引用元:RBB TODAY】
父親の死因は一酸化炭素中毒で、車の中に排気ガスを入れることによって自殺したと言われています。
なぜ死を選んだのか理由は明らかにはされておらず、YOSHIKIや弟は全く父親の異変に気づいていなかったようです。
YOSHIKIは現在もなぜ父親が自死を選んだのか真相にたどり着けていません。
父が他界したとき、その死因は心臓発作と聞かされていたYOSHIKI。ところが中学進学後、自宅に集まっていた親戚が、「まさかあいつが自殺するなんて」と話していたことを偶然にも耳にしてしまう。話によると車の中に排気ガスを引き込み命を絶ったというが、父が死を選んだ原因は今も不明だという。
【引用元:RBB TODAY】
当時実家は呉服屋を営んでいて生活は裕福だったとのことから、おそらく金銭的な理由ではないのではないかと思います。
父親は2人の息子を溺愛していたようです。
父親が趣味で集めているレコードをYOSHIKIが自宅の2階から落として大量に割っても、父親は怒らずに笑っていたとのこと。
「僕が父親のレコードを何百枚も家の2階から庭に投げまくったんです。割れる爽快感が楽しくてね。その時も父は笑ってました。一言も怒られたことなはかったで
すね。その経験でものを壊すのを悪いと思わなくなったのかな(笑)。また父はリンカーン・コンチネンタルに乗って雨の日によく学校まで迎えに来てくれて。
それも嬉しかったですね」
【引用元:女性自身】
YOSHIKIが小学生の時に給食のパンをそのまま焼くのが嫌で、父親が学校にトースターを持っていかせたという驚きのエピソードも明かされています。
先生に注意されると、父親は他の生徒さんにもということでもう1台トースターを持たせてくれたそうです。
小学生の頃に給食の食パンをそのまま食べる事が嫌で、母親に相談し学校にトースターを持って行った。
他の生徒もYOSHIKIのトースターを使ったが先生が「焼ける事、焼けない子が出て不公平になるからダメ」と言われ、みんな焼けるようにもう一台トースターを買って学校に持って行った。教室に2台のYOSHIKIトースターが並んでいたらしい
【引用元:violet painのブログ】
弟はSNSで父親については楽しい思い出しかなく、全く理解できないし、先に逝ってしまったことを今も恨んでいるといった発信をしています。
YOSHIKIも同じように感じていて、父親が亡くなってから錯乱状態になり、周囲に当たり散らしていたそうです。
あんなに可愛がってくれていたのに、なんで僕を置いて一人で逝ってしまったのかと悩む気持ちはよく分かります。
2017年2月9日放送の「ノンストップ!」の番組内では、家族を残してなぜという疑問がずっと離れず、心の傷は一生消えないと話していました。
YOSHIKIの頭の中には「家族を残してなぜ?」という疑問がずっと離れなかったという。ただ「(原因が)わかったところで父が帰ってくるわけじゃない」ともコメント。結局今でも自殺の原因はわからないという。そして辛かったのは母親だったとも話し「父のことは会話もしない。父の遺品は全部捨ててしまった」と、残された母親のことも思いやった。
【引用元:デイリースポーツ online】
父親が亡くなった時YOSHIKIはまだ10歳でしたが、父の死はYOSHIKIのその後の生い立ちに大きな影響を与えています。
YOSHIKIは自身について、仕事をしている時の精神状態が尋常ではなく、限界がないと話しています。
80時間連続で仕事をしたという驚愕のエピソードもあります。
80時間というのは丸3日寝ていないということで、本当に驚くばかりです。
YOSHIKIは父親が自分で死を選んだことがショックすぎて、その頃から生と死について深く考えるようになったとのこと。
その頃から作曲を始め、音楽に没頭することで苦しみや悲しみを生に変換させることで、可能性に限界を感じないようになったそうです。
YOSHIKIの父親の墓はどこ?千葉県館山市の実家近く?
YOSHIKIはドキュメンタリー映画「WE ARE X」の撮影のため、2015年に実家がある地元の千葉県館山市を訪れています。
その時に自身の母校である「館山市立北条小学校」や「千葉県立安房高校」、実家の墓などを訪れ、その時に撮影した画像を自身のSNSで公開しています。
父親が眠る墓は、YOSHIKIの実家近くにあるようです。
YOSHIKIはインディーズ時代に「株式会社エクスタシーレコード」というレコード会社を設立しており、会社の住所地が実家住所になっていることから実家は館山市の北条にあります。
YOSHIKIの父親の職業は元タップダンサーで最終的には呉服店を継ぐ
YOSHIKIの実家は館山で有名だった呉服屋です。
実家の呉服屋は現在は閉業しており、建物は残っていますが、誰も住んでいないようです。
YOSHIKIの祖父から続く店で、父親が継いでいますが、それまでの父親の職業が面白いです。
父親の職業は元タップダンサーです。
母親は父親のタップダンスのステージを観に来ていたお客さんで、父親に一目惚れして恋に落ちたとYOSHIKIは両親の馴れ初めを明かしています。
幼少の頃に父を亡くしているYOSHIKIは「僕のお父さんはプロのタップダンサーだったんです。そこへお母さんが見に来て、恋に落ちて僕が生まれたんです」と、父母、ダンスと自身の関わりを語った。
【引用元:日刊スポーツ】
父親は雨の日はリンカーン・コンチネンタルに乗り学校まで迎えにくるなど派手な性格で、地元では有名だったようです。
父親は性格が大人しかったのかなと勝手に思っていますが、YOSHIKIによると父親は喧嘩っ早くて負けず嫌いな性格をしていたそうです。
父親は音楽を愛する人で、ジャズピアノをよく弾いていたとのこと。
YOSHIKIは父親の影響でピアノをやってみたくなり、父親に話すとピアノを買ってくれ、ピアノ教室にも通わせてくれたそうです。
その後も毎年誕生日には様々な楽器をプレゼントされたそうですよ。
父親はYOSHIKIが音楽をするきっかけを作った人物だと言えるのではないでしょうか。
父親はYOSHIKIを溺愛していて、楽器以外にもよくプレゼントをもらっていて、YOSHIKIは毎日がクリスマスのようだと感じていたとのこと。
常に挑戦し続ける音楽人生の原点は、両親が買ってくれたピアノだった。「お父さんがピアノ弾いてたんですね。ジャズピアノなんですけど。お父さんが生きていた時、毎日クリスマスみたいな感じで、毎日プレゼントもらうんですよ。買ってきてくれて。その中に、クラシックレコードが入ってて、よく。それをいつもレコードプレーヤーで聞いてたっていう…それでクラシックの道に入ってった」と振り返った。
【引用元:スポニチ】
弟と同様にYOSHIKIにとっても、父親について楽しい思い出しかなかったようです。
YOSHIKIのほかの家族については以下の記事をご覧ください。
コメント
>>YOSHIKIが小学生の時に給食のパンをそのまま焼くのが嫌で
千葉県は進んでいたんですね