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YOSHIKIの母親の命日や死因は?職業は呉服屋?天皇の園遊会に出席できたのはなぜ?

YOSHIKIの母親である「林千恵子」とはどのような人なのでしょうか?

YOSHIKIは音楽で成功するまで母から多額の資金援助を受けてきましたが、職業は呉服屋経営と投資家です。

YOSHIKIと母親は一緒に天皇の園遊会に出席していますが、なぜ母も出席することができたのでしょうか?

母と天皇陛下との関係も気になりますよね。

母親の命日や死因、母親に捧げるYOSHIKIの曲についてもご紹介します。

YOSHIKIの母親の名前は「林千恵子」で顔写真の画像はある?

YOSHIKIの母親の名前は「林千恵子」です。

ちなみにYOSHIKIの本名は林佳樹といいます。

母親の生年月日は公表されていませんが、当時の結婚状況から考えると、母親は20代〜30代前半でYOSHIKIを出産したのではないかと予想しています。

YOSHIKIは自身のSNSで、若い頃の母親の写真の画像を公開しています。

YOSHIKIと母親は、鼻や口元、輪郭がよく似ているなぁと感じました。

2000年にYOSHIKIと母親は赤坂御苑で開催された園遊会に出席し、その時の親子画像がテレビで放送されていますが、やはりソックリでした。

YOSHIKIの顔立ちは完全に母親似だと思います。

YOSHIKIの母親は現在亡くなっている!命日や死因は?

YOSHIKIは2022年5月13日付けのSNSで、母親が亡くなり、前日の12日に火葬を執り行ったことを公表しています。

「X JAPAN」のYOSHIKIが13日、自身のツイッター、インスタグラムを更新し母親が亡くなったことを報告した。

ツイッターで「お母さんが永眠し、昨日火葬されました」と報告した。その上で幼いころの自身と母の写真をアップし「まだ心の整理ができず、涙が止まらない。親不孝な息子だったけど、お母さんは、ずっとかけがえのない存在だった…」と今の心境をつづった。
【引用元:スポーツ報知

YOSHIKIにとって母親は最愛の人であり、母親が亡くなったことを知った時に引退を考えたほどだったそうです。

亡くなってから火葬までにかかる平均日数は3~4日とされていることから、母親の命日は5月10日頃ではないかと思われます。

YOSHIKIは世界を飛び回る多忙な生活を送っていて、母親と一緒に過ごす時間がほとんどなかったことを悔やんでいるようです。

世界を飛び回り、多忙な音楽生活を送る中、今年5月に母が死去した。「世界を取りたい、世界を取るんだということがもう、ほぼ人生の全てになってしまって。(母と)一緒に過ごしたりという時間がほとんどなくて。そういった時間は自分が今後、何を成し遂げても取り戻すことはできないっていう、そういったことができなかった息子。親不孝な息子だったっていうのは、そこはすごく思いますよね」。声を詰まらせながら母への申し訳なさを口にした。
【引用元:スポニチ

YOSHIKIは母親の死因については公表していませんが、YOSHIKIの弟が父親の命日にあたる2022年5月8日付けのSNSで、気になる発言をしていました。

弟は母親が倒れてから、家族のサポートを受けながらずっと一人で母親の看病と介護を続け、最後を看取ることができたそうです。

弟のこの発言から、母親はなんらかの病気で倒れ、その後介護が必要な状態になっていたと考えられます。

YOSHIKIの母親の職業は元々呉服屋で最終的には投資家だった

公開されているYOSHIKIの母親の写真の画像を見ると着物姿が多いです。

母親はYOSHIKIと一緒に「Kiss」の武道館ライブを観に行く時も着物姿だったそうですよ。

──お母様は、着物を召してKISSのコンサートに行かれたこともあったとか。

その頃僕は、父親を亡くしたばっかりで。途方にくれてたときに、KISSの音楽に出会いました。それまで音楽はクラシックしかやっていなかったし、ロックは聴いてもいなかった。いつものようにレコード店に、ベートーベンとかシューベルトのレコードを買いに行って、そこでKISSを見つけ「ええ! 何コレ」って大きな衝撃を受けたんです。で、母に「(コンサートに)連れてって」って頼んだんですね。当時はまだ小学生で。母は、何を見に行くかよくわかってなかったと思うんです。だからいつものように着物を着て、お寿司を持って会場に……ビックリしてました(笑)。
【引用元:Vogue Japan

母親は普段から着物を着ることが身についていたようですね。

母親の職業を聞くと納得するのですが、母親は千葉県館山市で呉服屋を営んでいました。

YOSHIKIの父方の祖父が創業した呉服屋で、父親と母親で営んでいました。

当時は家政婦を雇っており、YOSHIKIは裕福な幼少期を送っていたようです。

YOSHIKIが10歳の時に父親は他界しており、その後は母親が1人で呉服屋を切り盛りしていたとのこと。

しかし数年後に母親は呉服屋を畳んでいて、その後は投資家として2人の子供に不自由させることなく育て上げています。

母親は投資家で成功しており、YOSHIKIは成功するまで母親から多額の資金援助を受けていたそうです。

母親は投資家として大変才があったようです。

YOSHIKIは高校を卒業後にバンド活動をするために上京していますが、母親から毎月50万円もの仕送りをもらっていたそうですよ。

母親のお金持ちぶりがさらによく分かる仰天エピソードも明かされています。

YOSHIKIは母親に相談後に手続きなどを手伝ってもらい、1986年に「エクスタシーレコード」を設立しています。

その後はデビューアルバムをリリースしたいと思うも資金が足りず、母親に1,000万円もの大金を貸して欲しいとお願いしたとのこと。

はじめYOSHIKIから話を聞いた時は母親は快くは思わなかったようですが、翌日に銀行口座に1,000万円が振り込まれていたそうです。

すぐに1,000万円もの大金を用意できていることから、多額の資産があったことがうかがえます。

YOSHIKIが亡くなった母親に向けて作った楽曲は「Requiem(レクイエム)」

YOSHIKIの曲に「Requiem(レクイエム)」という楽曲があります。

Requiemには鎮魂歌という意味がありますが、この曲はYOSHIKIが亡くなった母親に向けて作った曲です。

この曲は2023年7月21日にリリースが予定されていましたが、YOSHIKI自身の口から発売を延期することが発表されています。

YOSHIKIは母親の死で悲しみに暮れている時にこの曲を作り始めましたが、亡くなった母への思いがあり、曲の終わり方が決められないことから発売を延期することに決めたそうです。

YOSHIKIの母親が園遊会に出席できたのはなぜ?天皇との関係は?

YOSHIKIと母親は2000年に園遊会に出席しています。

YOSHIKIは宮内庁の依頼を受けて、奉祝曲を作曲し、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典で天皇皇后両陛下の前で演奏したことがきっかけで園遊会に招かれています。

親子で園遊会に出席するというのは異例のことだと「ミヤネ屋」で取り上げられていました。

園遊会に出席できるのは、本人と伴侶が原則とされています。

一般人の母がなぜ園遊会に出席できたのかや天皇との関係を不思議に思っている人も少なくないようです。

しかし、母親はYOSHIKIの付き添いで園遊会に招かれたのではなく、長年の家庭教育振興の功労が認められ、文部省からの推薦により園遊会に出席しています。

つまり母親はYOSHIKIの母親だからという理由で天皇から気に入られて園遊会に招かれたということではなく、たまたま母と息子の両方が別々に招待されていたわけです。

ちなみに、YOSHIKIが奉祝曲を演奏する際に天皇陛下に失礼がないようにとの理由から、母親はこの日のためにピアノを新調したとのエピソードも明かされています。

母親の経済力の高さがうかがえるエピソードですよね。

YOSHIKIのほかの家族については以下の記事をご覧ください。

YOSHIKIの家族構成!父親と母親と兄弟・姉妹について紹介
YOSHIKIの母親や父親はどのような人物なのでしょうか。 また、兄弟・姉妹はいるのでしょうか。 この記事では、YOSHIKIの家族について紹介します。

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